―――チュン、チュン、チュン……。
薄いカーテンの隙間からオレンジ色のあかるい日差しが入ってきていた。
(―――…朝か………)
あたたかな光に包まれてゆるりと意識を覚醒させた彼は、いつもと違う身体に当たる柔らかな感覚に、
心の中で(――…ん?)と首を傾げた。
(―――……あぁ、そうか。……俺、日本に来たんだ……。
どうりで固いベッドの感触がしない訳だ……)
つい数日前まで寝起きしていた小田舎のアパルタメントはどこから見ても小綺麗な造りではなく、
階段の手すりは赤く錆付き、部屋のドアも簡素な安い木造で、部屋の床はぎしぎしとたわむ、
はっきり言ってとてもじゃないが、かなりボロい物件だった。
そして、自分が眠る際に身体を預けていたあのベッド。
スプリングがいくらもきかない、古くて固いほこりのにおいのするマットレス。
小さなひとりがけのソファーをベッド代わりに寝ていた俺に、へんくつババァの大家が
「なんだいあんた、ろくに寝るものも無いのかい!?」なんて言って寄こした、どこで拾ってきたともわからない代物だった。
―――…あれが今では懐かしく感じるようになるなんて、そんな日が来るなんて、思ってもいなかった。
……そう、俺の生活の中に、こんなあたたかなにおいのするものなんて、存在しなかった。
隼人はごろりと身をよじると横に感じたあたたかなものに小さくすり寄った。
(――……花のにおい、と、太陽のにおい……。やわらかくて甘い…、懐かしい、あの………)
子供の頃に感じた、ほんのわずかな記憶。
おそらくあれは、共にいることを許されなかった優しい母の香り―――。
夢と現実の境をゆらゆらしていた隼人の意識は、その懐かしい香りのもとを確かめようとして
まるで水の中からすくい上げられるように、ゆっくりと覚醒した。
―――重たいまぶたをちいさく震わせながら視線を上げると、ふと、見慣れないものが目に入った。
(―――……ん?………なんだ?これ……)
ふわふわやわらかそうな白い頬とお世辞にも高いとは言えない小さな鼻、
大きなひとみを隠して閉じられたうすい瞼。
そして上を向いたままかすかに開かれて呼吸をくり返す、ぽったりとした赤い唇。
「―――……え、え”えええぇぇっ…!!?」
隼人は思わずこぼれ出した声をあわてて両手で遮った。
(―――……!!? って、なんで綱吉さんがここにいるんだ…!??)
隼人よりもひとまわり小さく細い体は、よく見ると自分が寝ていた布団の中にすっぽりと包み込まれていた。
そしてその人物は隼人の声に気付くことも無く、くぅくぅと小さな寝息を立てている。
(―――……!!!?)
はっきり言って意味が分からない。
どうしたらこうなるんだ……!??
昨日から彼の部屋にやっかいになることになって、夕飯を食べた後順に風呂に入り、
彼の好きそうなゲームの話なんかを「今度一緒にしようね」なんて楽しそうに話ていたら、
奈々さんが客用の布団をベッドの脇に敷いてくれて……。
そして彼がベッドに、自分がその脇の布団に横になり眠りに着いたはずだったのだが…………。
―――…もしかして、これは添い寝?ってやつじゃないだろうか……。
(全然気付かなかった。いつからここにいたんだ……?
―――…っていうかこれはマジで何なんだ!?…ただ寝相が悪いだけか!?それとも何かの確信犯か……!??)
布団の中で「う”〜ん」とか「うあ”ぁ〜」とかもんどり打ち始めた隼人の声に
ふいに綱吉が「……うぅぅぅ〜ん……」とちいさなうめきを上げた。
(………! やばい、起こしちまったか……?)
枕元に置かれた彼の目覚まし時計は、朝の6時すぎを指していた。
―――起きるにはまだ少し早い。
しかしこの状態で彼が目覚めるまでいるのはどう考えても避けたいし、この不可解な状況で陥った気持ちを落ち着かせるためにも
外でタバコでも吸って来ようと、腰のあたりをわずかに浮かせたその瞬間――、
彼の小さな眉根がクッと寄り、目の前にあった身体が己のほうへと転がって来たのだ―――。
『――――…ぷちゅ…』
「…――――――!!??」
やわらかいものが唇の端にあたっている。
……っていうか当たってる!!?
隼人は足もとから頭にかけて、強烈な電気が駆け抜けるのを感じた。
そして予備動作無しにガバリと起き上がると、何も持たずに外へと飛び出した、のだった…―――。
そして彼をこんな状況に陥れた当の綱吉はというと………、
「……………? ……あれ?ごくでらくん………?」
バタンと勢いよく閉められた扉の音に、眠い目を擦りながらももっそりと起き上がり、
「…………?――――…わ”ぁっ!!やばい…!俺またこんなとこで寝てるし………!?
………まずいなぁ……、どうやって謝ろう…………」
と、半泣きになりながら頭を抱えたのだった。