………懐かしい夢を見た。
――…もう、18年も昔のこと。
幼く短い指が、白い鍵盤の上を拙く滑った。
窓の外では木々が風に梢を揺らし、色とりどりの花咲く季節に、鳥たちの歌があふれていた。
――月に一度の幸せな時間。
この日の為にと何度練習をくり返したか分からない、もうほとんど暗記してしまった五線譜に、ふと目を向けたその瞬間、
窓から差し込む金色の光が、やさしいその人の長い髪を透かして、その淡い輝きが童話の中の妖精のようだと
幼い心ながら感じたのを、今も昨日のことのように思い出せた。
『………ハヤト、よそ見をしちゃダメよ。
――ほら、もう一度最初からね』
まるで咎めているようには聞こえない、優しい声とあたたかな笑顔。
白く長い指が、ちいさな自分の手のひらに重ねられて、もう一度鍵盤へと戻される。
『よく出来たわね』と手を握ってくれた、その、やわらかな指のあたたかさ……。
別れの瞬間、『また来るわね』と、頬に添えられたその手に、頬を染めて頷いた幼い自分。
――…もう絶対に、与えられることの無いものだと思っていたのに………。
今、この頬にぬくもりをくれる存在に、俺は夢の中だと分かりながらも、安堵に頬を緩ませ甘えた…――。
「―――……おはよう、目が覚めた……?」
僅かに瞼を開いた瞬間、視界に飛び込んできたはちみつ色の瞳と、頬の上のぬくもりに、思わず俺は目を見開いた。
「――…へ?」
予想だにしなかった人との接触に、寝起きにも関わらず見事カチンコチンに固まる身体。
無防備なその人が覚醒したばかりの野獣の顔に手を当てたまま、身体を曲げて屈んだその距離約20センチ。
今までで一番近い視線の先で、ふわりと香る、優しいフルーティフローラル。
先程目覚めたばかりにも関わらず、気の毒かな、獄寺の顔は熱を帯びて真っ赤に染まった。
「う〜ん、やっぱり熱あるみたいだねぇ……。
ホント昨日はびっくりしたよ。すごい音たてて引っくり返るんだもん。
――…今日は一日寝てた方がいいね。
何か欲しいものがあったら遠慮なく言って。俺買ってくるからさ」
気遣わしげな様子で、彼が善意で言ってくれているというのに………。
目の前に下りてきたシャツの間から垣間見える白いうなじに、下心でしか反応出来ない、この心と身体が情けない。
「――頭、コブになっちゃったかな……? 痛む…?」
俺の心を知ってか知らずか、沢田さんのスキンシップはいつもに増して非常に激しい。
それはただ、病人を気遣ってのものだろうが、体中のあちこちから変な汗が噴き出てきて、
昨晩ぶつけた後頭部をいたわるように、さらさらと優しい指が髪の中に差し込まれれば、俺は思わずベッドの上に飛び起きた。
「――…ぐっ!!」
「あぁっ!ダメだよ、まだ起きたら…!!
昨日ちょっと見ただけでも腫れてたし、あんまりひどいようなら病院で診てもらった方がいいかもね…」
優しく回された手が触れている背中がなんともこそばゆく、燃えるように熱かった。
(………なんだこりゃ……?…どーしちまったんだ、俺の身体は………?)
ふと自分の手元を見下ろせば、
「………あれ?」
普段あるはずのものが無い。
よくよく見れば俺は上半身裸のまま、愛しい人に背中をさすられているという何とも可笑しな状況で…。
「ほら、起きてると風邪が酷くなるよ。もう一度ちゃんとベッドに入って」
そんな獄寺の心境など知ってか知らずか、まるで子供をあやすように面倒を見てくれる優しい人。
必要以上の接触に身体は可笑しく反応しそうだし、(つーかそういや全裸で倒れたんだった)と恥ずかしい記憶がよみがえり、
おそるおそる布団をめくれば下はちゃんと履いていて、
(………やべぇ…、沢田さん、履かせてくださったんだ…)
――…俺って何て恥ずかしい奴…………。
しかし、恋する男の煩悩な思考は大変楽観的で、
(…気を失ったままの俺の身体を沢田さんが拭いてくださったんだろうなぁ…(只今画像が乱れております))、とか、
(あの人の指が俺の身体に触れて……!!(キャ〜〜!!))
なんて、まるで思春期の少年少女のようにテンションが上がりまくり、
挙句の果てには「…ヤベぇ、何で俺寝てたんだ。超オイシイ状況じゃねぇか…!」
と、起こることも無いことを期待して嘆く始末。
プルプルと小刻みに震えだした俺を、気分が悪くなったんだと勘違いした沢田さんは、
「ほら、布団入ろ…?風邪酷くなっちゃうよ?」
と、伏せ目がちに可愛らしいお顔を俺に近づけて………。
―――あぁ…!!、ここで少しでも手を出す勇気があったなら…………!!!(泣)
そっと触れるような口付けをその果物のような唇に落とし、赤く染まった彼の表情を堪能した後、深いキスで身体をとろけさせ、
そのままベッドにもつれ込んでにゃんにゃんにゃん…(またまた画像が乱れております)
(………なんて、出来たらどんなに幸せか…!? …トホホ)
アホな妄想の末に顔を赤くして半ば半泣き状態の俺の様子を、おやさしい沢田さんは
「風邪、辛いんだね…?」と都合よく勘違いしてくださって、
俺は仕方なく、熱くなってしまった身体を隠すように布団の中へと身を沈めたのだった。
「飲み物、スポーツドリンクだけど、ここに置いとくね。
あとレトルトだけど、いちおうお粥も買って来たから、お腹がすいたら言って」
優しく布団をポンポンしながら、反応し始めたブツを隠すため横向きに寝ている俺の身体を
優しく擦ってくださる、愛しい沢田さん…。
―――…しかし、
(ああっ!ダメです沢田さん…!!
小さな刺激でも、今はすべて火種になっちまうんです……!)
しかし彼はそんなこと知る由も無い。
「……さ、沢田さん……。オレ…、全然大丈夫ッスから…。もう帰ります。
…沢田さんもお忙しい、でしょう………?」
風邪のせいかそれとも何か。
脂汗を垂らしながらも、必死のつくり笑顔で辞退を申し出た俺に、
「あ、心配しないで。俺も今日は休むから。
最近ちょっと忙しすぎてさ、いい機会かなぁと思って」
と、ふふふとはにかむように笑ったその人が、今日は小悪魔を通り越して悪魔に見えた。
(…あぁぁ、超バッドタイミングっす。沢田さん…(泣)
少しでもあなたがそれっぽいそぶりを見せてたら、すでに俺の理性は木っ端微塵の海の藻屑でした………)
何故何故なにゆえ生殺し…。
(…添い寝、とか、してくんねぇかなぁ…………。
――…無理だよなぁ…。
あぁ…、その白いうなじに齧りつきたいッス……(泣))
妄想はどんどんひどくなる一方なのに、手を出すことは絶対に許されず…。
身体を丸めて小刻みに震えだした俺に、
「――…辛いんだね……。
やっぱり俺、今から風邪薬買ってくるよ。獄寺くんはゆっくり休んでて…!」
と、なんとも辛そうに言い放つと、俺の否定の言葉なんて何のその、
沢田さんはベージュ色のPコートを手に取ると、雪の残る室外へと、飛び出して行ってしまったのだった…。
―――…そしてその後、独り部屋に残された俺は………。
どうにもこうにも身体の収まりがつかず、仕方なしにトイレを借りて熱を吐きだしたのだが、
ベッドまで戻る途中で再びぶっ倒れ(ホントに調子悪かったんだなぁ…、俺(汗))、
帰ってきた沢田さんにまたまたご迷惑をお掛けしてしまったという…。
――挙句の果てには
「もうっ…!君はしばらく外出禁止ね……!? あと仕事も休み!」
と、いわば生殺しの継続宣言をされ、俺がいくら「大丈夫ですから…、もう帰らせてください(泣)」と頼み込んでも
その後3日間、沢田さんは俺をアパートから出してくれなかったのだった…――。