獄寺くんの風邪が無事に回復してから5日ほど経った、面接帰りの夜8時頃。
(……いや、俺はまだ完全には治ってないと思ったんだけどさ…、獄寺くんが
『もう絶対大丈夫ッスから…!本当家に帰してくださいっ!!』って土下座までするから仕方なく帰したんだけど………。
俺に世話されるの、そんなに嫌だったのかなぁ……。そうだったらちょっとショックなんだけど………)
そんなことをうつらうつら考えながら、綱吉は普段あまり来ることの無い、最寄駅から東側のアパートとは真逆の道を
コートのポケットに手を突っこみ、マフラーに半分ほど顔を埋めさせたまま、たらたらとゆっくりと歩いていた。
――…事は今日の昼過ぎまで遡る。
久しぶりに連絡を寄こしてきた父親から、
『綱吉ぃ!元気にやってるかぁ〜??ワリ―けど酒送ってくれよ!日本酒なぁ〜。いいヤツたのむぜ〜!?』
とへべれけに酔った状態で電話を寄こされ、仕方なく市内一の大きな酒屋へと足を運んでいる最中だったのだ。
「…ったく、イタリアだって日本酒くらい手に入るだろうに、贅沢言うなっての……!」
イタリアと日本との時差は約8時間。
恐らく前日の夜から飲み明かしていたのだろう父親に、綱吉は少々呆れた体でため息をついた。
(…今度母さんにチクってやる)
いい年になっても酒の量だけは変わらない父親を、母親の奈々は随分と心配するようになっていた。
今まではどうにかスル―されて来たが、これが日課とでもなればさすがの母も怒ってくれるだろう。
(しかも何で俺のポケットマネーから払わなきゃいけないワケ……!?あのひと金ならいっぱい持ってるでしょ!
――俺はしがない大学生なの…!就職活動中なの!バイトしてる暇もないの!お金なんかどこにもないの……!!)
「……………。やっぱり母さんに、あとできつく怒ってもらおう……」
そう呟きながら、煌煌と光の漏れる酒店の自動ドアをくぐり抜けた綱吉は、『大吟醸』と名のある食費二か月分くらいはしそうな日本酒と、
たまたま目にとまった『1000円ポッキリ!』の白ワインを一本買い求めると、足早に酒屋を後にした。
「ふぅぅ、すげー寒っ…。いつになったらあったかくなるんだろうなぁ…」
気温も寒いが心も寒い。
毎日数社の面接を受け続けているというのに受かる気配は全く無く…、どう見ても残り物という体の綱吉だからか
面接官に「がんばってね」と鼻で笑われることもしばしば。
世の中そんなに甘くないのである。
「……つーか、仮にどっかで雇ってもらえたとしても、上手くやってけるのかなぁ……」
なんて、「はぁぁ…」と深く吐いたため息が、ふわふわと空の彼方に溶けて行った。
足取り重く駅前の道を通り過ぎ、もう少しでアパートに着く、という頃。
日々鍛えられた修行の賜物か、人の気配に敏い綱吉のセンサーが、わずかにおかしな気配を捉えた。
(…………またか…)
ここ数日、家の近所まで来ると誰かに見られているような、そんな気配を感じるようになった。
リボーンがイタリアに渡って綱吉が大学に入学してからは、至って平穏無事な日々が過ぎ、こんな事は一度も無かったのに……。
このままいけばもう少しで大学を卒業、就職する当ても無くイタリアンマフィアの10代目になるのであろう自分の居場所を
どこかの敵対ファミリーが嗅ぎ付けて来たんだろうか……?
(………う〜ん、今は何とも言えないけど……、そろそろどうにかしないとなぁ……)
――実はこれでもう4日目。
毎日のように見張られていては家に入りたくても入れない。
(……やっぱり、俺のうちを探してんのかなぁ…。それとも近所に住む女性目当てのストーカー………?)
いろいろ考えてみたけれど、直接本人に問いただしてみない事には分からない。
(やっと家でゆっくり出来る…)
と思ったのもつかの間、綱吉はそのままアパートの前を素通りすると、すこし先のコンビニへと向けて歩き出した。
これもここ4日間、仕方なく続けている日課だった。
――この先徒歩5分程のところに、大通りに面した大きめのコンビニがある。
そこを迂回して、ぐるりと大通り沿いに進み、人混みの中で自分の気配を紛らわすようにしてから家に帰るのだ。
少しでも住居を特定しづらくするための工夫、のつもりだったのだけれど、毎日視線を感じる場所は同じだし
もし相手がマフィアだったとしたら、すでにバレていてもおかしくはない。
(――…まぁ、狙いが誰にせよ、問題が起きる前に片づけちゃった方がいいよねぇ…)
仕方ない、と小さくため息をついて、あまり良くない頭を巡らせた。
(……確か、あそこのコンビニの裏手、空き地になってたよね………?
面倒だから、あそこでいっか)
相手がうまくついて来てくれることを祈りながら、普段どうりゆっくりと歩を進めた。
…すると、しばらく歩いた塀の先、次の角を曲がればコンビニに出る、という所になって、
綱吉はすぐ横の塀沿いに、見慣れた車が止まっているのを見つけた。
「…あ、あれって……」
思わず声が出てしまい、慌てて口を閉じる。
もしかして、と思いながらも、後ろの相手におかしな素振りを見せぬように気遣いながら、綱吉がゆっくりと
車の横を通りぎようとした、その時…―――。
「―――…あっ、沢田さんっ……!」
背後からパタパタっと音がして、軽トラックの影からよく見知ったその人が、いつもの仕事着の恰好のまま飛び出して来たのである。
「……うっ、…ごくでら、くん………」
(今日は会いたくなかったなぁ……(いやそういう意味じゃないんだよ…?)
俺、器用じゃないから、いきなり展開が変わっちゃうと対応しきれないんだよねぇ……)
そんなことを綱吉が考えていたなんて露知らず、(こんなところで偶然っすね…!もしかして赤い糸の巡り合わせ…!!?)
なーんて都合よく解釈した銀色のわんこは、「ご自宅まで送りますよ!よかったら乗ってください!」
と、返事をする間も与えず、綱吉をトラックの助手席に押し込んでしまったのだった………。
「…あ、あの……、獄寺くん…」
トラックが走りだして2分程経った頃、綱吉はこの車が自宅に向かって走っている訳ではない事にようやく気が付いた。
ハンドルを握る表情を伺い見れば、先程とは打って変わって真剣な表情で、綱吉が話しかけているにもかかわらず
彼は沈黙を守ったまま、ただ前方を睨み付けていた。
――…それからどれくらい走ったのだろう。
車は大きなマンションの地下駐車場に入ってやっと止まったようだった。
「―――…さぁ、着きましたよ」
さっきまで一言も喋らずに固い表情をしていた彼が、笑顔で綱吉を振り返った。
「…………?」
「大丈夫です。ここなら絶対安全ッスから。足元暗いんで気を付けて下りてくださいね」
そう言って、彼がわざわざ助手席のドアを開け、躊躇もせずに自分の手を取ったので、綱吉はすこし慌てて後を追った。
案内されたのは、13階建ての7階、一番東側の角部屋だった。
2LDKの広くてきれいなマンション。
モノトーンで統一された、お洒落な、物の少ない部屋だった。
「ちょっと前に引っ越したんスよ。
前の部屋、壁が薄いわ鍵掛かんないわで散々だったんで…。
いろいろ準備すんのに時間食っちまったんですけど、いいのが見つかったんで」
そう言うと、彼は冷たい水のボトルとグラスを持ってきて、ガラステーブルの上に静かに置いた。
「俺、ちょっと買い物してきますんで、沢田さんはゆっくりしててくださいね。すぐ戻りますから」
いつもよりずっと大人びた、優しい彼の笑顔だった。
綱吉は彼の出て行ったドアを見つめながら、
「――――…やっぱり獄寺くんも………、マフィア、なんだよねぇ………」
何故か冷たいものが、胸の中をつうっと伝うのを感じていた。
(……俺、何にも言わなかったのに、きっとあの視線に気付いたんだ……。
…あんまり考えないようにしてたけど……、やっぱり獄寺くんはマフィアで、ボンゴレの構成員で、
俺が次期10代目だって、きっと知ってる………。
………だって、そうじゃなきゃ、俺の事、助けたりなんかしないよね………?)
――…せっかく友だちになれたと思ったのに………。
素性を隠してて、実はマフィアで、もしかしたら未来の部下でしたなんて、やっぱり考えたくなかった…。
(―――…それに…)
彼が俺に近づいたのは、もしかしなくてもそういう意味だったんじゃあ……。
……友達になれたと思ってたのは…………俺だけ?
「…………はぁぁぁっ……」
ここ最近で一番大きなため息が、綱吉の口から盛大に洩れた。
「……もう、こんなんじゃ、やってらんないよね………!?」
綱吉は自棄になった気持ちを少しでも慰めるべく周囲に視線を巡らせると、足もとに転がっていた、
買ったばかりの酒瓶に手を伸ばした……―――。