中学2年になった、ある日の夏の日。
綱吉は電車で4時間ほどかかる、父方の祖母の家にひとりで向かっていた。
友達づきあいの下手な綱吉は、夏休みになっても一緒の遊んでくれるような親しい友人がひとりもおらず、
毎日寂しくテレビゲームに明け暮れる日々を送るならと、母の奈々が田舎への帰省を勧めたのだった。
「おばあちゃんちに行けば、きっと武くんが遊んでくれるわ。
武くん元気かしらねぇ」
にこにこと話題を振る母に、のどの奥を冷たいものが流れていくような感覚を覚える。
武くんというのは祖母の家の近くに住む、綱吉と同い年の少年だった。
彼はとても気さくで面倒見が良かったのだが、当然そんな人間には慕ってくる友人もたくさんいた。
自分とは違う人種の人間だ、と綱吉は昔から感じていた。
数年前に祖母に家に里帰りをした時も、武は友達のいない綱吉を気遣って、
数人の友達と一緒に、毎日自分を誘いに訪れてくれていた。
しかしそれが人みしりの激しい綱吉には、多少なりともストレスを与えてしまっていたようで、
その年の夏休みは何度も微熱を出して、何もしないままあっという間に終わってしまった。
(あんまりいい思い出じゃないな………)
そう思い、小さくため息をつく。
旅行用にと新しく購入したボストンバッグの中には、着替えやタオル、歯磨きなどの必要最低限のものを詰め、
奈々が持たせた祖母への菓子折を手に、乗り降りする人の少ない2両編成の電車へと乗り込む。
そこは住み慣れた並盛からは程遠く離れた田舎の駅舎内だった。
しかしこの駅はまだ多少の大きさのある駅で、いくつかの路線へと乗り降りが出来、
辺りを見渡すと都市部へ向かう車両の中には多くの人が乗り込んでいる。
そんな光景を尻目に、綱吉は自らが乗り込んだ車両内に視線をやると、ふたたび小さなため息を吐いた。
―――自分以外には乗客が2人しかいない。
祖母が住む町までは、ここから先は無人の駅のみだった。
乗客が少ないのも当たり前で、ガランとした古い車内は少し寂しい雰囲気を醸し出していた。
もともとあまり乗り気じゃなかった小旅行だけれど、最初からこんな風では先が思いやられる。
母が帰省を進めてきた気持ちも分かってしまうからしぶしぶ了承したのだけれど、
早くもすでに帰りたくなってきてしまっていた………。
ゆっくりと車体を軋ませて電車が動き出すと、夏の強い日差しに照らしだされたまばゆい景色が右から左へと流れてゆく。
辺りは見渡す限り田畑に覆われていて、開け放たれた電車の窓から騒がしい虫たちの鳴き声が入りこんでくる。
並盛とは違い、目の前に見える森も大地も緑に覆われていて、心持ち冷たく感じる風が、汗で濡れたうなじを乾かしてゆく。
―――気持ちの良い、夏の日の午後だった。
慣れない旅と熱さのせいか、綱吉は座席に寄りかかっていつの間にかうとうととまどろんでしまっていた。
眠りに落ちていた頭に、「――駅、――駅」と言う、車掌の独特なアナウンスの声が響く。
(――あれ?………ここ、どこだろう……)
ぽやぽやした意識を目を擦りながら覚醒させると、窓の外には見慣れない無人の駅が見えた。
数人の客がバラバラと電車を降りてゆく。
駅のホームに設置された木製の看板には『東町』と書いてあり、
それを確認すると綱吉はあからさまにホッとした様子で肩の力を抜いた。
綱吉が下りる駅はこの次の駅。
駅名を『稲荷山狐町』と言う。
ちょっと変わったネーミングだが、どうもこの町には昔から狐にまつわる伝説がいくつも残されているようで、
通称で狐町と呼ばれているのだと母が小さい頃に教えてくれた。
間違っても狐がうじゃうじゃいる町、と言う意味では無い………。
(あと少しで駅に着いちゃう…)
綱吉は自分の荷物を引きよせると、ボストンバッグを肩にかけ
汗をぬぐうために取り出していたハンドタオルを中にしまった。
「ピ――ッ」という笛の音とともに、またゆっくりと電車が滑り出してゆく。
そのスローモーションのようにも見える動きを目で追っていた時のこと。
「―――ガチャガチャ、……バタン」
隣の車両とを繋ぐドアが、重たい音を立てて開き、閉まった。
その音に綱吉は条件反射のように目をやって、そこに立っていた人物の姿と
周りを彩る景色のあまりの不自然さにそこから目が離せなくなった。
(??? ……外人さん……?こんな田舎に…………?)
いまもこちらに歩を進めてくるその人物は、コンビニも無いようなど田舎にはまるでいそうにない、
銀色の髪、銀と碧が合わさったような複雑な色の瞳を持った、精悍な少年だった。
それに白い肌に高そうなモノトーンの服と、重厚なシルバーアクセサリーを見に付けており、
それが嫌味なほど良く似合っている。
ちょっと柄の悪そうな感じが不良っぽく感じさせるけれど、田舎にいそうなヤンキーとは全く一線を画している。
(綺麗なひとだなぁ……)
もともとカツアゲにあったり脅されたりしやすく、不良アレルギー(?)のある綱吉も
その美しさについ目で追ってしまっていた。
するとその少年は綱吉の目の前、通路をはさんで反対側の椅子に腰を下ろし、
暑さのせいか鬱陶しそうに長い前髪をかき上げた。
そんな仕草まで、まるで海外のファッション誌のモデルのようだと、綱吉は感嘆と共に肩をすくめた。
「―――――」
あまりにじっと凝視してしまったせいか、彼がふとこちらに視線を向けた。
綱吉はその視線を逃れるように顔を背けると、何事も無かったように窓の外に視線を向けた。
(…………やばい…。ヘンに思われたかな……)
今更ながら、彼が柄の悪そうな人だと気が付いた綱吉は、手に汗を握りながら時が過ぎるのを待つ。
(あとひと駅で降りるんだ。着いたらさっさと逃げてしまおう……)
そんなヘタレな感情で自分を励ましていたのだが、
「――――おい。お前」
目の前から響いてきた低い声に、綱吉は思わず肩を跳ねさせた。
「…っ! ………はい」
恐い人とはなるべく知り合いになりたくは無いが、彼が不快な感情を持ったのなら、きっと自分にも非があるだろう。
……応えないわけにはいかない。
恐る恐るか細い声を絞り出してそちらを向くと、
彼は自分の姿を、頭のてっぺんから足の先まで食い入るように見つめていた。
「――……お前、……もしかして洋子ちゃんとこの子供か……?」
しっかりした少年の声が聞きなれた名前を紡ぎ出す。
(―――え?………ヨウコちゃん……?
確か、おばあちゃんの名前って『ヨウコ』だったような……)
漢字でどう書くのかまでは忘れてしまったけれど………、この少年は自分の祖母のことを言っているのだろうか?
(いやでも60過ぎのおばあちゃんのことを「ちゃん」付けで呼ぶって言うのは、いくらなんでもおかしいでしょ……)
綱吉が応えられずに考え込んでしまうと、彼は仕方なさそうに言葉を付け足した。
「稲荷山の、参道のすぐ脇の家だろ。
――沢田洋子。そこんちの子供じゃないのか?」
確かにおばあちゃんちは稲荷山っていう狐が祀られている神社のふもとにある。
これはどう考えても答えはイエスだ。
「……あ、ハイ。
……でも何で俺のこと……?」
何で彼は俺がおばあちゃんとこの子供だってわかったんだろう?
前に会ったことあったっけ……?
恐る恐る応えたその問いかけに彼が応える間も無く、車両が車体を軋ませて
「キキキィーッ」と甲高く停車したものだから、綱吉はその答えを聞き出すことは出来なかった。
わたわたと足をもつれさせながら急いで駅のホームに降りると、彼も隣のドアからホームに降りたようだった。
電車がふたたび高い音をさせながらゆっくりと走り出してゆく。
その「ガタンゴトン」という音を聞きながら、綱吉は小さくなっていく電車を何気なく見送った。
「―――――名前は?」
だいぶ身近で聞こえた声に、綱吉はハッと意識を連れ戻す。
気が付くと、いつの間にか彼が自身のすぐ横に立っていた。
―――全く気配を感じなかった。
「お前、名前は?」
棘の無い、優しい声音だった。
「…………。つなよし、……沢田、綱吉」
きらきらと揺れて光を捉える彼の瞳に、思わず見入ってしまいながら応えると
「隼人だ。また会えるといいな」
そう言って、彼はさっさと改札とは逆の方向に歩いて行ってしまう。
(………ハヤ、ト………?)
その行動と後ろ姿をなかばあっけにとられながら見送っていた綱吉は
しばらく放心したように意識を手放していたが、その後ろ姿を眺めているうちに
何かおかしいものが視界に映り込んでいることに気が付いた。
―――それはすらりとした彼の足もとに揺れていた、『影』。
(…………。なに、あれ…?
頭と足のところで何かがふわふわ動いてる……?)
何て言うか、耳、と尻尾、みたいな………?
黒くハッキリと輪郭を持った影の部分にだけ、猫や犬にあるような類のものが揺れて見える。
目がおかしくなったのかと思って、何度も両手で目をこすってみたが依然それは消えず、
いつの間にか目の前を歩いていた彼の姿が、風に溶けたように消えてしまっていたのだった。