「――ちょっとハヤト、やめてよね……!?
俺、すごいびっくりしたんだから………!」
「……くくッ…、面白かっただろ?なかなかスリリングで…!」
空を飛びながら仲良く痴話げんかする彼らを、地上に繋がれた飼い犬たちが、何事かと見上げて吠えている。
「あのねぇ…、俺、自慢じゃないけど泳げないんだよ…!?全然面白くないよ!おぼれ死ぬかと思ったじゃん…!」
「――そりゃ悪かったな。…でもまぁ、今回は俺もだいぶ驚かされたからな、軽い仕返しだろ?」
「えぇっ…!?」
「だってお前、よく考えてみろよ。数日ぶりにおまえの気配が動いたと思って追いかけてみりゃ、裏の世界に迷い込んでるわ身体は透けてるわで、
俺を心労で殺す気かっての…!」
「――……あ、ホントだ。ちょっと透けてる」
「今気付いたのかよ…!?」
「…う、うん、だって足もちゃんと付いてるし、自分が幽霊になってるだなんて誰も思わないじゃん…?」
「おまえは死んでないんだから幽霊じゃないだろ…?それに幽霊だって足付いてるやつは付いてるぜ」
「えっ!?そうなの!?」
「念の強いやつは生きてる人間とさほど変わらずに見えるしな…。霊感の無いやつなら目の前にいる人間が死んでるなんて全く気付かねぇよ」
「……へ、へぇぇ〜、そうなんだ……」
「ホラ、もう着くぞ。降りるから準備しろよ」
「…うん」
ふわりと風に乗ってゆっくりと降下すると、彼らは沢田家の庭先へと着地した。
「……なぁ、お前んちどっか鍵掛かって無いとことかあるか?」
「?鍵?……廊下の一番右の引き戸が空いてるはずだけど」
田舎町と言うこともあり、このあたりでは鍵を掛けずに眠る家も多い。
「よし、じゃあそこから家に入るぞ」
「…えっ?ハヤトも入るの?」
「お前を身体に戻してやんないといけないだろ?」
「い、いひゃい…!」
ぽけっとした顔で見上げていたら、むぎゅっと両頬をつねられた。
じんじんする頬をさすりながら彼のあとを付いて行くと、ぼそっと呟かれた「猫又がいないといいんだけどな……」という彼のつぶやきに
綱吉は小さく吹いた、が、ぎろりと睨まれて慌てて視線を逸らす。
家の中に入ると、薄い肌掛けを抱き締めるようにして、自分が布団の上で眠っていた。
「………なんか不思議な感覚……」
思わず口から突いて出たつぶやきに、隣にいた彼がぷっと吹き出した。
「まぁそうだろうな。――…じゃあ、とりあえず横になれよ。身体の横に来るようにな」
言われたまま、くぅくぅと寝息を立てる自身の脇に身体を横たえた。
「ちょっと目ぇ瞑ってろよ。すぐ済むから」
「…うん」
ゆっくりと瞼を閉じた世界は、真の真っ暗闇で何も見えなかったけれど、しばらくそのまま待っていると
視界の隅で淡い光の波紋が広がりだした。
最初は細く湧き出る泉のように、静かな動きを見せていたけれど、次第にそれは視界全体を埋め尽くしてゆき、
気が付いた時には自分の意識すべてが、白くあたたかな光に包まれていた。
(―――……あ、これ……、あのときと同じ……)
あたたかな、白く微かに虹色を含んだ光。
あのとき、水中で感じたものと一緒だった。
しかしそれは長くは続かず、徐々に光が弱まっていったかと思うと、綱吉の身体はひんやりとした夜の空気に包まれた。
「―――…もういいぞ、目ぇ開けてみろ」
その声にゆっくりと瞼を押し上げると、いつもと変わらぬ天井が視界に映った。
「…ん…。戻ってる……?」
そろりと身体を起こして、頬や手足にべたぺたと触ってみたけれど、特におかしなところも無いようだった。
「ヘンなとこ無いか?頭がグラつくとか」
「……ん…、たぶん、大丈夫そう」
軽く首をまわして(…あれ?ちょっと頭痛いかも…)とも思ったが、これくらいなら大丈夫だろうと頷いた。
「―……でも俺、何で身体から抜けてあんなとこに行っちゃったんだろう……?」
目の前であぐらをかいて座っているハヤトに、身体を捻って向き合うと、綱吉はちょっとだけ距離を詰めた。
「…ん〜、それは俺にも分かんねぇけどな……。でもおまえひとりであんなとこまで行けるはず無ぇし、
どっかのどいつが手引きしたって可能性は無きにしも非ずだな……」
顎に手を当てたまま考え込んでしまったハヤトに、綱吉は「…確かに」と頷く。
「――…それは俺も考えてたんだけど……、眠る前にさ、声が聞こえたんだよね」
「――……声?」
「うん、意識が沈んでく途中で、なんか小さい星みたいなのが見えて、それが目の前をふわふわってしてたのは覚えてるんだ。
――…それで気が付いた時には石段の途中にいたんだけど……」
「………ふぅん」
「あっ、でも悪い感じはしなかったんだよ?
なんか儚くてきらきらしてて、蛍の光みたいで………。
あれと同じのが社の前を飛んでた時はちょっとびっくりしたけどね」
「……?」
「…あ、あれ?ハヤトは見てなかった……?」
「何を」
「……だから、あの蛍みたいな光だよ。
俺が神社に着いたあたりから、蛍が一匹、社の前をずっと飛んでたんだよ。
――…すごい綺麗だったなぁ…、儚くって、ふわふわって光って……」
「―――……」
「…? ハヤト……?」
「……んん、分かった。
――…とりあえずそれは俺が調べといてやるから、お前はちゃんと休んどけよ。
身体、まだ本調子じゃないんだろ?」
「………あ、そうだった。俺、風邪引いてたんだった。
どうりで頭が痛いわけだ…」
あはははと空笑いをしたら、ハヤトはいきなり険しい顔つきになって、綱吉をなかば強引に布団に寝かせた。
「ちゃんと寝ろよ。
――……あと、俺は来週の祭りの日まで会いに来れねぇから、大人しくしてるんだぞ。
間違っても今日みたいに、フラフラ遊びに出掛けんなよ…?」
「……う、うん、ごめんなさい。
……それより、今日もいいっぱい変なの見ちゃったなぁ……。もうしばらくはいいかなぁ………」
横になったら急に眠気が襲ってきて、綱吉は優しい手のひらに髪を撫でられながら
その気持ちよさに頬を弛めたまま、徐々に意識を包みこんでゆくやさしい眠りの中へと、次第に落ちて行ったのだった………――。
「―――……おやすみ」
ほの明るくなってきた東の空に、しっとりとした朝の静けさを感じて、
ハヤトは可愛い人の小さな額にゆるく唇を落とすと、音をたてずにその場を後にした。